2020年読んだ本
今年は全然ブログを更新できなかったが、読んだ本の感想をまとめてみる。
なめらかな世界と、その敵
思い切って買い、読んだ。 新しい作品、しかも日本SFはほぼ読まないのでイマドキなアイデアベースなSFでちょっとラノベのようなライトな作風なのかな、と表題作を読みながら感じた。
しかしながら表題作の最初にR・A・ラファティを引用する作家である。 読み進めると、古今東西様々なSFを読みこんだ上で書いていることがそこかしこから感じられる。エンタメ作品だけど、研究しつくした上で書かれた作品だということがわかる。
「美亜羽へ贈る拳銃」は ハーモニー (ハヤカワ文庫JA) のトリビュート作品だけれど、単体でも読めるし、読んでいる側からすると、こうアプローチするのかとその視点に納得させられる。たまたま「ハーモニー」読んでてよかったと思った。
「ひかりより速く、ゆるやかに」はSNSなど今の世相が盛り沢山だけれどそれをうまくSFとして昇華している。今だからこそ書ける作品を書くっていうのはとても価値がある気がする。
コロナ禍でのWIREDのSF特集は来年、再来年にはまた違った趣になっているだろう。
- 作者:Condé Nast Japan (コンデナスト・ジャパン)
- 発売日: 2020/06/23
- メディア: Kindle版
夢幻諸島から
- 作者:クリストファー・プリースト
- 発売日: 2013/09/25
- メディア: Kindle版
ちょっとファンタジーな表紙とあらすじに惹かれて買ったものの積読していた。 夢幻諸島の島々をA-Zの順番で紹介するガイドブックの体で書かれた小説だが、読み進めていくうちに繋がりがみえてくる。 登場人物や島の名前が何度か登場するあたりで気づいてしまうのだ。
島々の位置関係は不定だという設定ゆえに本の中には地図は書かれていないが、文章を元に自分の頭の中で地図を描き、考えを巡らせてしまう。 すごい。まさに思考させる小説だ。kindleで読んだので検索機能がとても役に立った。付箋をつけながら読むのも楽しそうである。
夢幻諸島の世界観もファンタジーすぎず、どこかにありそうに思えてくるので素敵だ。
眠れる美女
アンソロジーで「片腕」を読んで気になったのでそれが収録されている「眠れる美女」を読むことにした。
正直「眠れる美女」がヤバくて「片腕」が大したことないように感じられるぐらいだった。 晩年の川端康成はヤバイことがよくわかった。
「片腕」の女性から片腕を借りるモチーフもそうだが、老人が眠らされている女性と一晩を過ごすというモチーフもまた、主体が不在な女性に対する神秘性に基づいている気がする。物を言う女性にはみられないミステリアスで耽美な描写。 心と切り離されている身体からその女性を思い描こうとする偶像性の熱がよくわかる。圧巻。
来年は三島由紀夫もチャレンジしたい。
飛行士たちの話
- 作者:ロアルド ダール
- 発売日: 2016/08/05
- メディア: 文庫
ロアルド・ダールの短編集。作者自身が経験した第二次世界大戦が描かれている。パイロットの描写は結構新鮮。 戦争の悲惨さ、というより悲しさ・虚しさの方が強く印象に残る。
「紅の豚」の元ネタともいえる「彼らに歳は取らせまい」もいいが、最初の作品「ある老人の死」が好き。死と隣り合わせの飛行戦、その臨場感と緊張感がすごい。
最後に
感想を書きたいとおもったものをピックアップして書いた。 去年より読んだ冊数は減った気がする。長編や古典作品にチャレンジしすぎたのが原因かなとも思う。
来年は感想アウトプットを増やしたいです。
「乙女の港」がエモかった
ようやく図書館が開放されたので、数ヶ月ぶりに本を借りに行った。
開いてない間はKindle本を少しづつ消化していたが、購入する本となると再読本だったり、作家が偏ったりしてしまう。 そういう意味で、買うまでは行かないものの、偶然目について気になった本を読む機会を与えてくれる図書館は、ありがたい存在だと思う。
で、手に取ったのが「乙女の港」である。
- 作者:川端 康成
- 発売日: 2011/10/05
- メディア: 文庫
この題名+表紙で川端康成。これは手に取ってしまうでしょ。
今でこそアニメイラストの表紙になった文豪作品がよくみられるようになったものの、これは当時からこの作風だったと。 しかもこれ、「エス」を描いた作品です。
エスとは、特に戦前の、日本の少女・女学生同士の強い絆を描いた文学、または現実の友好関係。sisterの頭文字からきた隠語である。
いや、どういうこと? 情報量多くない? ノーベル文学賞を受賞した文豪が、少女向け雑誌で、「エス」小説書いてた??
もう読むしかないでしょ。 そういう訳で読みました。
川端康成がなんで「エス」題材の小説書いてるの?という疑問に関しては、解説に書いてあるので即解決。
草案は 中里恒子という、カトリック系の女学校出身の方が書かれたからなんですね。
逆にいうと、この小説は作者の経験に基づいて書かれたってことなんですよね。それに大御所作家が手を加えている。
なんだこの夢のコラボは。すごすぎか。
そして内容。
少女向けと侮ってはいけない。 すごいですよこれは。 エモい。
これを当時の少女たちの多くが愛読していたと考えると、昭和初期の女学生すげえって思います。
がっつりドロドロ三角関係
物語は、女学校に入学した主人公の三千子が2通のラブレター (という表現しか思いつかない) をもらうところからはじまります。
「エス」は姉役の上級生が妹役の下級生を指名するスタイルなんですね。 胸キュン少女漫画でよくみる、いきなり年上イケメンに告白される 普通の 女の子の図と似ていて面白い。
2通ともポエミーで情熱的な手紙なのですが (気品の高さがうかがえる)、 三千子は5年生の洋子さんを姉と慕うようになりつつ、 夏休みをきっかけに4年生の克子さんにも惹かれていきます。
克子さんが意外とガツガツくる姉御肌で、三千子さんが聖母のような姉なんですよね。 それに翻弄される主人公。三角関係としてド王道です。
「エス」は恋人関係と同じで、基本的に複数人と付き合っちゃダメなので、 横取りしようとする克子さんに、5年生が連名で警告したりしてて、すごく ガチ です。
エスは遊びじゃない (確信)。
「エス」というエモい関係性
いやもう恋人じゃん。
関係性としてほぼ恋人です。 おしとやか〜に恋人です。
一つ言えるのは、洋子(お姉さま)から一方的に告ってきたのに、三千子が序盤からメロメロです。
同時に、洋子も三千子が好きです。会いたくて震えるタイプの好きです。
うわ〜〜めちゃくちゃ共依存してる〜〜って思っちゃいましたね。流石に。
でも、洋子は年上としてしゃんとしなきゃ……と勉強とか慈善活動とか、これでもかというほど善人として生きようともがいています。
エモいですね。
洋子が時折みせる弱さ、感情を揺さぶるものがあります。
特に印象的なのは、物語の序盤、三千子が洋子を驚かせよう(甘えようと)と隠れていた場面の台詞です。 あまりにも動揺している様子の洋子をみた三千子は申し訳なくなって、姿を見せます。 そのあとの洋子の台詞が以下。
「私、今、三千子さんを捜しながら、とても悲しかったのよ。いつか、いつかね、三千子さんを、ほんとうにこんなにして、捜すんじゃないかって。ふっとそう思ったの。その時は、もう幾ら捜したって、三千子さんは見つからないのじゃないかって」
「ふっとそう思っただけよ。でも、あたしはどんなに遠くへだって、三千子さんの心を捜しに行ってよ、きっと。」
(P85~86)
お、重い……。 重いんだけど、洋子は不幸な境遇にあり、少女の知る世界において、三千子がどれだけ希望になっているのかがわかる……。
少女だからこそ言える台詞……。
エモい……。
そして三千子も三千子で重い。
夏休みの間、三千子は避暑地軽井沢で偶然克子に出会い、観光案内してもらったり、一緒に出かけるようになります。 この克子がすごいガツガツくるタイプで、洋子がいないのをいいことに、三千子にアピールしまくります。
それに順応していく自分に対して、三千子はめちゃくちゃ罪悪感持っちゃうんですよね。
牧師様に懺悔しようか考えるレベルに。
うーん、重い。
ちなみに克子が悪役っぽくなっているかといえばそうではなくて、軽井沢にいる外人と日本人を比べて、日本人も全然劣っているわけではないと主張していて、結構先進的でグローバルな女性として描かれています。 なかなか時代を先取っている。
おわりに
そんなこんなで「乙女の港」、非常にエモい作品でした。 (全然語彙力がない。主人公たちの書く手紙の表現力が羨ましい。)
学生同士の期間限定の擬似(?)恋愛だからこそ、儚く情熱的で美しく見えるのかもしれません。 この小説が少女たちの間で流行してた時代に思いを馳せてしまいます。すごい。
読んでよかった。
2019年の総括(読んだ本・面白かった本)
Photo by Daria Nepriakhina on Unsplash
1年も終わりなので、読んだ本について振り返ってみる。
読書メーターによると、今年読んだ本は48冊。大体週に1冊は読めた計算になる。
読書傾向
昨年は海外小説ばかり読んでいたが、日本の作品も少し読むようになった。
ジャンルについて、相変わらずSFが多いが、それ以外も文豪作品を読んだ。
国内文学
これをきっかけに、文豪作品を何作品か読んだ。
個人的には、川端康成の「片腕」が衝撃だった。 娘から片腕を借りるというシナリオは広義のSFを感じさせる。
また、安部公房のSFっぽい短編を読んだ。どちらかといえばブラックジョークよりの作品。
- 作者:安部 公房
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1974/08/27
- メディア: 文庫
青空文庫には坂口安吾や谷崎潤一郎といった作家の作品が無料で読めるので、これからも気が向いた時に読んでいきたい。
国内SF
筒井義隆作品を何冊か読んだ。
- 作者:筒井 康隆
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1994/03/30
- メディア: 文庫
旅のラゴスは男の旅と人生の物語。読後感が良い作品だった。
あと読んだのは百合SF。
こういうテーマが決まったアンソロジーが好きなので、最近の国内SFを知る良いきっかけとなった。
伴名練が気になるので、来年は読む。
海外SF
今年のメインディッシュは危険なヴィジョン。
新しく読んだ作家
「危険なヴィジョン」に収録されていた、R・A・ラファティやサミュエル・R・ディレイニーの短編を読んだ。
R・A・ラファティはとにかくぶっ飛んでいる。「ほら話」という紹介にふさわしいが、それ以上に奇想天外で意味不明な展開にも関わらず引き込まれてしまう魅力がある。不思議な作家である。
- 作者:R.A. ラファティ
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2012/11/01
- メディア: 文庫
サミュエル・R・ディレイニー は繊細で美しい文体の作家。作品によっては難解で哲学的で、よくわからない。だからこそ、読みたくなる。
- 作者:サミュエル・R・ディレイニー
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 2014/12/29
- メディア: 単行本
長編SF
今年は長編SFも何冊か読めたので、個人的に成長を感じることができた。
「ソラリス」は本当に圧巻。 読んだSF好きの誰もがおすすめする理由がわかった。 人間以外の知性生命体との接触についての価値観が180度変わる。
そして「タイタンの妖女」。 短編を読んだ時はそこまでハマらなかったカート・ヴォネガットだが、この作品はあっという間に読み終えてしまった。 どうしようもできない運命を描いた人間讃歌。 ユーモラスかつシニカルで、どこか現実を投影した物語だった。
- 作者:カート・ヴォネガット・ジュニア
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/02/25
- メディア: 文庫
「きみの血を」はずっと読みたかったスタージョンの長編。ようやく読めた。 SFというよりはミステリ・怪奇小説よりの小説。実験的なストーリーの進み方で、面白い。
- 作者:シオドア スタージョン
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2003/01
- メディア: 文庫
そしてイーガンの「順列都市」。 難しくて何度も挫折してきたイーガンの長編小説をようやく読破した。
下巻にかけての種明かしと、群像劇が収束していくラストは、前半に苦しんだ分が全て報われていく達成感があった。 やはりすごい。イーガンはすごい。
来年の目標
今年はあまり感想ブログを書けなかったので、来年は今年よりも多く更新したい。
読みたい本が増えていき、積読状態なので消化試合になりそうだが、新規開拓もしていきたいところ。
来年もやっていきます。
取引のエコロジー<ベガーズ・イン・スペイン>
読んだ本の感想。
- 作者: ナンシークレス,Nancy Kress,金子司
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/03/31
- メディア: 文庫
- 購入: 4人 クリック: 29回
- この商品を含むブログ (42件) を見る
ベガーズ・イン・スペイン
表題作「ベガーズ・イン・スペイン」において、スペインの物乞い( ベガーズ・イン・スペイン )の例え話は主人公のリーシャ・カムデンとトニーの会話で出てくる。
「スペインみたいな貧しい国の通りを歩いていると、物乞い(ベガーズ)を目にすることがある。あんたなら、物乞いに一ドルくれてやるか?」
「たぶんね」
「どうして?そいつはあんたと取引なんてしてないんだぜ。取引できるものなんて、何ひとつもってやしない」
「わかってる。親切心からよ。それと、同情心から」
(中略)
「だったら、物乞いを百人見かけて、あんたはリーシャ・カムデンみたいな金持ちじゃないとする —— 全員に一ドルずつやるかい?」
「ううん」
「どうして?」
リーシャは金持ちの父親を持つ、相互に利益のある契約を信じるヤガイストである。そして、遺伝子操作によって眠らなくても生きることができる無眠人である。
この作品では普通の人間(有眠人)より優れた能力を持った無眠人たちが、優れているがゆえに迫害されていく。
リーシャは、無眠人がより優れた能力を持っていることを認識していて、その能力で 取引 ができると思っている。しかし、スペインの物乞いの例えにあるように、持たざる人間は、人工的に優れるよう生まれた人間と取引できるものなんてない。いつしかそれが不満や怒り、嫉妬へと変わっていき、無眠人は立場を追いやられるようになっていく。
いよいよリーシャが追われる立場となり、有眠人の妹アリスを頼ることで、彼女は理解する。 取引はいつも直線的に行われるわけではなく、エコロジーであり、誰かから与えられることで、別の誰かに何かを与えることができるのだと。
150ページ程度の小説ながら、自由とはなにか、平等とはなにかを深く考えさせられる作品。
無眠人は必ずしも裕福な家庭の生まれとは限らず、むしろ自分と子供の今後の人生を考えて遺伝子操作に踏み切っているので、無眠人だからといって必ずしも優越感とか自己肯定感が高い訳ではないところもいい。「出る杭は打たれる」状態に彼らは苦しんでいる。
そんな中で、リーシャは珍しく裕福な家庭に生まれていて、この状態の当事者からすこし外れている。 有眠人の妹アリスの苦しみも理解できていない様子がある。
そんなリーシャがアリスの苦しみを知り、"いま" 起こっていることを理解するラストはとても美しい。
物乞いは、助けられると同時に誰かを助けてやる必要もある。
このフレーズはアリスを表現したフレーズなのだが、「自分は特別」と思うことができない人間に深く刺さる。
密告者
ワールドという星では人々は共有現実によって自己が証明される。 現実を犯すことは罪であり、罪を犯した人間は「非現実者」となり、世界に存在しないとみなれる。
主人公は妹を殺した罪に問われているが「密告者」として働くことで罪を償い、現実者に戻れると信じている。 殺された妹もまた、その時まで土に還ることが許されず、化学薬品のガラスの棺に閉じ込められたまま。
しかし主人公は密告者として地球人と接触したことをきっかけに、記憶・現実が簡単に書き換えれることを知り、自分の妹を殺した記憶も政府の実験で植え付けられたものである可能性を知る。
なにが現実でなにが現実でないのか?
この作品に出てくる共有現実は、噂話やフェイクニュースのように本当とは限らないのに共有され、みんなが本当だと信じている嘘のメタファーのように感じられた。共有現実が真実だと信じている間は何も考えなくていいのだから。
ダンシング・オン・エア
バレエSF。
バレエには怪我がつきもので、それを能力強化によって解決されつつあるバレエ界を描いたサスペンスSF。
能力強化で普通の人間にはできない踊りができるようになった一方で、強化なしでやっていくバレエダンサーもいる。
夢を叶えるためにその領域に踏み込む人、自分の意思と関係なく生まれた時から決まっていた人。 それぞれの立場が描かれていて面白い。
おわりに
姉妹や親子関係を書いた作品が多い短編集。
バイオSF的設定とそれを活かした家族の関係性の描写に強みがある作風だと思った。
二つを結ぶアスタ<アステリズムに花束を>
SFと百合、思えばどちらのジャンルも定義は曖昧なのではないか。
アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー (ハヤカワ文庫JA)
- 作者: S‐Fマガジン編集部
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2019/06/20
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログを見る
SFはScience Fiction/Speculative Fiction/すこし・ふしぎの略であり、ジャンルの定義に対する決着は永遠の命題ともいえる。
百合も、「女性同士の関係を扱うもの」という曖昧な共通認識で今日まで至っている(多分)。
そんな曖昧なジャンルと曖昧なジャンルの組み合わせが「百合SF」。そのアンソロジーがこの度発売されたので読んでみた。
百合とSF
最初に断っておくと、自分は「百合に生かされている」人間ではないし、百合だろうとBLだろうとノマカプだろうとなんでもいける口である。
しかしながら、SFに百合を組み合わせることは、自然と「人と人との関係性」がフォーカスされるSFを生み出している気がした。
同時に、百合にSFを組み合わせることは、一般的な百合に対するイメージ(学園モノ・女学校 など)をアップデートする新たなヴィジョンである気がした。
それゆえに、百合SFは盛り上がっているのだな、と読み終えて感じた。
ざっくり感想
「キミノスケープ」「幽世知能」
ピロウトーク
- 唯一の漫画作品。
- 先輩に片思いする後輩がひたすら切ない。
四十九日恋文
- 死んだ人とメールでやりとりできる、日にちと文字数の制限付きで。という設定が切なくなるしかなくて、発想の勝利だなと思わせる作品。
-
- 王道の女学校百合だけど、吸血鬼の要素とスチームパンク的な様々なガジェットが加わることで、広がりが生まれる。
- 年下の娘が年上のお姉様をお慕いするという王道の構図はやはり美しいのである。
月と怪物
海の双翼
- 百合だからといって人間同士とは限らない。
- 鳥人との意思疎通、それを見守り時に嫉妬する人形の三角関係。
色のない緑
- Colorless green ideas sleep furiously というチョムスキーがタイトルが元ネタのSF。
- 主人公の文系女子と理系女子の接点は言語、翻訳。機械翻訳によって人間はAIに仕事は奪われてしまうのか、という現代の問題に関わっているネタ。
- 二人の関係性は百合といえば百合なのだが、個人的には「これは百合SFです」って出されて読むよりも、単純にSFとして読んで、最後まで読んだ結果「これは百合だった」って言いたい雰囲気の小説。つまり、ちょうどいいバランスです。
ツインスター・サイクロン・ランナウェイ
おわりに
時間SFやら恋愛SFやら、SFはいろんな側面をみせてくれる。広がりがある。
二人の「関係」を描くSFとして、百合SFがもっと読めたら嬉しいと思う。
危険なアンソロジー<危険なヴィジョン>
危険なヴィジョン、全3巻を読み終わった。
危険なヴィジョンは約半世紀前、 ハーラン・エリスンによって世に出た、ヤバすぎるSF(スペキュレイティブ・フィクション)アンソロジーである。
- 作者: レスター・デル・レイ,ロバート・シルヴァーバーグ,フレデリック・ポール,フィリップ・ホセ・ファーマー,ミリアム・アレン・ディフォード,ロバート・ブロック,ハーラン・エリスン,ブライアン・W・オールディス,伊藤典夫,浅倉久志,山田和子,中村融,山形浩生
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2019/06/06
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログを見る
第1巻の巻末の解説がブログで公開されている ので、よければ確認してほしい。
いろんなSF作品を読んでいる時、その作家が「危険なヴィジョン」というアンソロジーにも収録されているではないか、と気づき、読もうと思ったものの、なぜか1巻のみ和訳されているなあ、という謎の状態がようやく終焉を迎えたのである。
それだけ有名な作家、作品のオールスターという訳で、これだけのものを生み出せたエリスンは本当にヤバイな、という感想以上のものがない。
アベンジャーズアッセンブル的な、大乱闘スマッシュブラザーズ的な、もうトンデモすごいラインナップなのである。 自分のようなにわかSF読書家でもわかるレベルにすごい。
そしてなによりも、このアンソロジーの特徴として挙げたいのは、エリスンの前書き(作品の紹介文)がすごく長いということだ。
下手すると本編より長い。作者と自分のエピソードやら、作者に対する誉め殺しや、裏話や、本編そっちのけの饒舌さに驚く。
また、短編中編関係なく、作者本人のあとがきがついている。(こっちは前書きより短いものが多い)
これもちょっと珍しい。同人誌ではよくみかける、というか、同人誌のアンソロジーのような安心感を覚えてしまった。 エリスンと対応する形をとっているのもあって、ただ本編を楽しむだけじゃない、楽しみ方がある。
そんなこんなで、面白かった作品の感想。
ジュリエットのおもちゃ(ロバート・ブロック)・世界の縁にたつ都市をさまよう者(ハーラン・エリスン)
第1巻に収録。
この2つの作品は異なる作者だけれども、2つ読むことで完成する作品だ。
リレー小説のように、「世界の縁にたつ都市をさまよう者」は「ジュリエットのおもちゃ」の設定を引き継いで、進化している。
描かれるのは未来、そして"切り裂きジャック"。
死の鳥 (ハヤカワ文庫SF) では単品で載っていたため「なんだこれ?」と思ってた「世界の縁に〜」の世界観は「ジュリエットのおもちゃ」の世界観を引き継ぎつつも、エリスン節全開の作品であることがあとがきからもわかる。
父祖の信仰(フィリップ・K・ディック)
第2巻に収録。
個人的に、ディックで好きな短編を選ぶとしたら「にせもの」かこの作品を選びたい。それぐらい好きな作品。
というのも、下記のディックの短編集にすでに収録された作品だったりする。
- 作者: フィリップ K ディック
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2017/11/30
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログ (1件) を見る
この短編集の中で、異彩を放っていて、ふつうのディックとはチョット違う作風、それが「父祖の信仰」である。
そういう意味では「危険なヴィジョン」にフィットするように書かれた作品なのかもしれない。
中国が中心となっている近未来の世界で、政府に勤めている主人公が、常に幻覚をみさせられていることを知る。 今まで現実だと思っていた総統の姿は、幻覚剤によって見えていたにすぎない。本物はいかなる姿をしているのか?
世界を支配しているモノの真実と、ラストのスコープの対比が美しすぎる。 短編ながら、作り込まれた壮大な世界観と、主人公の思考と、残り少ない人生への選択が、とにかくすごい。
自分が見ている「現実」は本当に「現実」なのか?この問いこそが危険なヴィジョンそのものだ。。
男がみんな兄弟なら、そのひとりに妹を嫁がせるか?(シオドア・スタージョン)
新手のラノベかと思ってしまうタイトルだが、スタージョンである。 なぜか単独でwikipedia記事がある。
ラノベのタイトルのごとく、タイトルが主題を意味していて、つまりは近親相姦を真っ向から肯定している中編小説である。
主人公が記録館長に自分の経験を語る調子で物語が進むのだが、実際には館長に語りかけていない個人的な記憶に関しては太字で記述されていたり、一人称から三人称の語り口に移り変わったり、結構挑戦的な小説である。
本編とはあまり関係ないかもしれないが、まえがきとあとがきがお互いの手紙のやりとりみたいになっており、なんだか良い友情を垣間見させてもらった気分になる。
他3巻感想
行け行け行けと鳥は言った(ソーニャ・ドーマン)
タイトルはT・S・エリオット - Wikipediaの詩から。
食料危機によるカニバリズム。食べられたくないと死にたくない、がイコールじゃないという感情の不一致。あとがきの「彼が何を愛しているかである」の引用も良い。
幸福な種族(ジョン・スラデック)
機械がなんでもやってくれるようになって、人間全員が入院患者扱い、地球全体が病院と化している、っていう皮肉が効きすぎている作品。 一般的なユートピアものやディストピアもののイメージとは違って、人間は全く抗うことのできないまま結末を迎えるというのが、、スラデックすごいなあ。
認識(J・G・バラード)
これぞスペキュレイティブ・フィクション。
日本に馴染みがあまりないのもあるけれど、移動サーカスには不思議な魅力を感じる。 カフカの 断食芸人 - Wikipedia なんかも、日本人は、サーカスに馴染みのある欧米人とは違う感覚で読んでいるだろう。
そして、この作品もサーカスが描かれている。寂れた移動サーカスの檻には何かがいる。それはおそらく人間で、見物人を嘲笑う。
然り、そしてゴモラ……(サミュエル・R・ディレイニー)
ぐうの音も出ない。宇宙で働くため、生殖機能も成長も失ったスペーサーと、それを好む性的倒錯者フレルク。 残酷な世界だ。
危険じゃない?
出版されたのが50年も前とあったら、今となってはそこまで危険な題材とは感じないだろう、なんて意見がちょこちょこある。
当時の状況を味わった人間な訳でもないし、SFの歴史を知ってるような人間でもないが、統一したテーマで、多様な「危険」が集まっているアンソロジーはとても価値があると感じる。 そして、タブーは未だタブーであり続けるし、現状見る限り、それらが克服されている訳でもなさそうである。
「危険なヴィジョン」を描く作品から伝わるのは、それを克服したい気持ちというよりむしろ問題提起という側面だ。 何年という時代を経ても、文学が現実に問いを投げかけるという事実は変わらない。
まあたしかに、今、エリスンによって 「The Last Dangerous Visons」 が出版されたらはたしてどのような作品が読めるのか、気になりはするけれど。
継続する営みのあり方<職業としての小説家>
ずいぶん前のことで細かい内容はすっかり忘れてしまったのだが、
あるブログが「村上春樹は一日に何文字書くと決めて、そのルール通りに小説を書き進めている」という例を出しながら、習慣について書いていた。
個人的に小説家のイメージは「書けなくて云々唸っている」時期と「寝食を忘れて書き進める」時期を繰り返して生きている、であったので、単純に「村上春樹はすごいな」と衝撃を受けた。
それは(確か)この本から引用された例だったと記憶している。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2016/09/28
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (17件) を見る
というわけで、「職業としての小説家」を読んだ。
この本は小説家になりたい人に向けたハウツー本ではなく、著者がどのような経緯で小説を書き始めたか、どのような思想で専業小説家をしているのか、が書かれたエッセイである。
しかしながら、小説家に限らず、なにかを職業にする心構えとして、とても参考になるエッセイだった。
著者が述べることには、「小説を書くこと自体はそれほど難しくなく、 難しいのは小説を 書き続ける 」こと。 続けることの難しさはどんなことにも言える。 ゆえに、エッセイはどんな人にも響くだろうと思った。
以下、気になったところを備忘録がわりに書いていく。
それを仕事にすること
最初の小説を書いたときに感じた、文章を書くことの「気持ち良さ」「楽しさ」は、今でも基本的に変化していません。(中略) 正直言って、ものを書くことを苦痛だと感じたことは一度もありません。小説が書けなくて苦労したという経験も(ありがたいことに)ありません。 というか、 もし楽しくないのなら、そもそも小説を書く意味なんてないだろう と考えています。
いま何か続けていることがあるとするなら、それを(はじめて)見た・経験したときの楽しさが忘れられないからだろう。 そして、その楽しさが今でも続いているからだろう。
仕事にすることは自分にとって楽しく、意味があることが理想だと感じた。
オリジナルであること
誰だって「オリジナルな表現者」でありたいと願っている。
小説でもなんでも、オリジナリティーはとてもふわっとした概念で、それでいて重要視され、それゆえに苦しめられる存在だ。
競争社会では他と差別化することが重要視される。 もっとオリジナリティーが欲しい、と相手が批評したところで、何をもってオリジナルなのか、相手はちゃんと考えていない(に違いない)。
そもそも、オリジナリティーとは
時間の検証を受けなくては正確には判断できない
と著者は述べている。
ビートルズやボブ・ディランだって今こそスタンダードな存在になっているが、一般的に評価されるようになったのは時間経ってからなのだ。
そして、評価されるようになるには、
ある程度のかさの実例を残さなければ「検証の対象にすらならない」
いろんな角度からみて、「ああ、やっぱりあれはオリジナリティーにあふれたものだったな」と過去を思い出してもらうことは、ポッと出の一発屋ではできない。
そんな時間と"かさ"が物を言うオリジナリティをどう確立するか。
「自分に何かを加算していく」よりはむしろ、「自分から何かをマイナスしていく」という作業が必要とされるみたいです。(中略) それでは、なにがどうしても必要で、なにがそれほど必要ではないか、あるいはまったく不要であるかを、どのようにして見極めていけばいいか? すごく単純な話ですが、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつの基準になるだろうと思います。
また、オリジナルな表現者になるにはどうしたらいいか。
もしあなたが何かを自由に表現したいと望んでいるなら、「自分が何を求めているか?」というよりむしろ「何かを求めていない自分とはそもそもどんなものか?」ということを、そのような姿を、頭の中でヴィジュアライズしてむるといいかもしれません。
著者は、小説を書かなくたって死ぬわけじゃないと考える。だから、書く気分じゃないときは他のことをする。 死ぬわけじゃないのに小説を書きたくなったら、小説を書く。
人はなにか目標があるときに、がむしゃらに、乗り気じゃない時も続けなきゃいけないと思ってしまうものだ。
でも本当はそんな必要はなくて、むしろ自分の内側からやりたいなと思ったとき、表現できるものが自分のオリジナリティーかもしれない。
批評をうけること
最初に述べたように、著者の長編小説の書き方は淡々としている。一日四百字詰の原稿用紙十枚だけきっかり書く。この繰り返し。
そして、そのあとに何度も書き直す。書き直すという「行為」が重要で、他人の意見を聞きながら、正気の人間が読めるものに直していく。 そうして時間をかけてできた作品は時間のクオリティーだけ「納得性」が現れる。
だから僕は自分の作品が刊行されて、それがたとえ厳しい–––思いもよらぬほど厳しい–––批評を受けたとしても、「まあ、仕方ないや」と思うことができます。 なぜなら僕には「やるべきことはやった」という実感があるからです。(中略) 「やるべきことはきちんとやった」という確かな手応えさえあれば、基本的に何も恐れることはありません。あとのことは時間の手にまかせておけばいい。
作品について判断するのは読者。
相手がどう思うかは自由だ。
だからこそ、作品を生み出した自分自身が「やるべきことはやった」という深い納得感を持っていなければならない。
批評を受けて傷ついたり、落ち込んでしまうのは、自分自身が納得できていないからかもしれない。 こうすればよかったとか、今ならもっと良いものができたとか、という気持ちが本当はあるのだ。
そうならないためにも、時間をかけてクオリティーを磨き上げる作業を怠ってはいけない。
さいごに
どんな華やかな世界でも、やっていること自体は単純でつまらないようにみえることばかりだ。 大事なのは、そんな世界で自分がなにを見出すか。
サクセスストーリーは、偶然からチャンスを掴んだ人間の話のように聞こえるが、 その人生が多くの人々に伝わっているのは、掴んだチャンスを軌道にのせ、継続したからなのかもしれない。
続く生において何が為せるのか。 自分が続けられることを続ける、というのがひとつの答えなのだろう。