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取引のエコロジー<ベガーズ・イン・スペイン>

読んだ本の感想。

ベガーズ・イン・スペイン (ハヤカワ文庫SF)

ベガーズ・イン・スペイン (ハヤカワ文庫SF)

ベガーズ・イン・スペイン

表題作「ベガーズ・イン・スペイン」において、スペインの物乞い( ベガーズ・イン・スペイン )の例え話は主人公のリーシャ・カムデンとトニーの会話で出てくる。

「スペインみたいな貧しい国の通りを歩いていると、物乞い(ベガーズ)を目にすることがある。あんたなら、物乞いに一ドルくれてやるか?」

「たぶんね」

「どうして?そいつはあんたと取引なんてしてないんだぜ。取引できるものなんて、何ひとつもってやしない」

「わかってる。親切心からよ。それと、同情心から」

(中略)

「だったら、物乞いを百人見かけて、あんたはリーシャ・カムデンみたいな金持ちじゃないとする —— 全員に一ドルずつやるかい?」

「ううん」

「どうして?」

リーシャは金持ちの父親を持つ、相互に利益のある契約を信じるヤガイストである。そして、遺伝子操作によって眠らなくても生きることができる無眠人である。

この作品では普通の人間(有眠人)より優れた能力を持った無眠人たちが、優れているがゆえに迫害されていく。

リーシャは、無眠人がより優れた能力を持っていることを認識していて、その能力で 取引 ができると思っている。しかし、スペインの物乞いの例えにあるように、持たざる人間は、人工的に優れるよう生まれた人間と取引できるものなんてない。いつしかそれが不満や怒り、嫉妬へと変わっていき、無眠人は立場を追いやられるようになっていく。

いよいよリーシャが追われる立場となり、有眠人の妹アリスを頼ることで、彼女は理解する。 取引はいつも直線的に行われるわけではなく、エコロジーであり、誰かから与えられることで、別の誰かに何かを与えることができるのだと。

150ページ程度の小説ながら、自由とはなにか、平等とはなにかを深く考えさせられる作品。

無眠人は必ずしも裕福な家庭の生まれとは限らず、むしろ自分と子供の今後の人生を考えて遺伝子操作に踏み切っているので、無眠人だからといって必ずしも優越感とか自己肯定感が高い訳ではないところもいい。「出る杭は打たれる」状態に彼らは苦しんでいる。

そんな中で、リーシャは珍しく裕福な家庭に生まれていて、この状態の当事者からすこし外れている。 有眠人の妹アリスの苦しみも理解できていない様子がある。

そんなリーシャがアリスの苦しみを知り、"いま" 起こっていることを理解するラストはとても美しい。

物乞いは、助けられると同時に誰かを助けてやる必要もある。

このフレーズはアリスを表現したフレーズなのだが、「自分は特別」と思うことができない人間に深く刺さる。

密告者

ワールドという星では人々は共有現実によって自己が証明される。 現実を犯すことは罪であり、罪を犯した人間は「非現実者」となり、世界に存在しないとみなれる。

主人公は妹を殺した罪に問われているが「密告者」として働くことで罪を償い、現実者に戻れると信じている。 殺された妹もまた、その時まで土に還ることが許されず、化学薬品のガラスの棺に閉じ込められたまま。

しかし主人公は密告者として地球人と接触したことをきっかけに、記憶・現実が簡単に書き換えれることを知り、自分の妹を殺した記憶も政府の実験で植え付けられたものである可能性を知る。

なにが現実でなにが現実でないのか?

この作品に出てくる共有現実は、噂話やフェイクニュースのように本当とは限らないのに共有され、みんなが本当だと信じている嘘のメタファーのように感じられた。共有現実が真実だと信じている間は何も考えなくていいのだから。

ダンシング・オン・エア

バレエSF。

バレエには怪我がつきもので、それを能力強化によって解決されつつあるバレエ界を描いたサスペンスSF。

能力強化で普通の人間にはできない踊りができるようになった一方で、強化なしでやっていくバレエダンサーもいる。

夢を叶えるためにその領域に踏み込む人、自分の意思と関係なく生まれた時から決まっていた人。 それぞれの立場が描かれていて面白い。

おわりに

姉妹や親子関係を書いた作品が多い短編集。

バイオSF的設定とそれを活かした家族の関係性の描写に強みがある作風だと思った。