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危険なアンソロジー<危険なヴィジョン>

危険なヴィジョン、全3巻を読み終わった。

危険なヴィジョンは約半世紀前、 ハーラン・エリスンによって世に出た、ヤバすぎるSF(スペキュレイティブ・フィクション)アンソロジーである。

第1巻の巻末の解説がブログで公開されている ので、よければ確認してほしい。

いろんなSF作品を読んでいる時、その作家が「危険なヴィジョン」というアンソロジーにも収録されているではないか、と気づき、読もうと思ったものの、なぜか1巻のみ和訳されているなあ、という謎の状態がようやく終焉を迎えたのである。

それだけ有名な作家、作品のオールスターという訳で、これだけのものを生み出せたエリスンは本当にヤバイな、という感想以上のものがない。

アベンジャーズアッセンブル的な、大乱闘スマッシュブラザーズ的な、もうトンデモすごいラインナップなのである。 自分のようなにわかSF読書家でもわかるレベルにすごい。

そしてなによりも、このアンソロジーの特徴として挙げたいのは、エリスンの前書き(作品の紹介文)がすごく長いということだ。

下手すると本編より長い。作者と自分のエピソードやら、作者に対する誉め殺しや、裏話や、本編そっちのけの饒舌さに驚く。

また、短編中編関係なく、作者本人のあとがきがついている。(こっちは前書きより短いものが多い)

これもちょっと珍しい。同人誌ではよくみかける、というか、同人誌のアンソロジーのような安心感を覚えてしまった。 エリスンと対応する形をとっているのもあって、ただ本編を楽しむだけじゃない、楽しみ方がある。

そんなこんなで、面白かった作品の感想。

ジュリエットのおもちゃ(ロバート・ブロック)・世界の縁にたつ都市をさまよう者(ハーラン・エリスン)

第1巻に収録。

この2つの作品は異なる作者だけれども、2つ読むことで完成する作品だ。

リレー小説のように、「世界の縁にたつ都市をさまよう者」は「ジュリエットのおもちゃ」の設定を引き継いで、進化している。

描かれるのは未来、そして"切り裂きジャック"。

死の鳥 (ハヤカワ文庫SF) では単品で載っていたため「なんだこれ?」と思ってた「世界の縁に〜」の世界観は「ジュリエットのおもちゃ」の世界観を引き継ぎつつも、エリスン節全開の作品であることがあとがきからもわかる。

父祖の信仰(フィリップ・K・ディック)

第2巻に収録。

個人的に、ディックで好きな短編を選ぶとしたら「にせもの」かこの作品を選びたい。それぐらい好きな作品。

というのも、下記のディックの短編集にすでに収録された作品だったりする。

アジャストメント ディック短篇傑作選 (ハヤカワ文庫SF)

アジャストメント ディック短篇傑作選 (ハヤカワ文庫SF)

この短編集の中で、異彩を放っていて、ふつうのディックとはチョット違う作風、それが「父祖の信仰」である。

そういう意味では「危険なヴィジョン」にフィットするように書かれた作品なのかもしれない。

中国が中心となっている近未来の世界で、政府に勤めている主人公が、常に幻覚をみさせられていることを知る。 今まで現実だと思っていた総統の姿は、幻覚剤によって見えていたにすぎない。本物はいかなる姿をしているのか?

世界を支配しているモノの真実と、ラストのスコープの対比が美しすぎる。 短編ながら、作り込まれた壮大な世界観と、主人公の思考と、残り少ない人生への選択が、とにかくすごい。

自分が見ている「現実」は本当に「現実」なのか?この問いこそが危険なヴィジョンそのものだ。。

男がみんな兄弟なら、そのひとりに妹を嫁がせるか?(シオドア・スタージョン)

新手のラノベかと思ってしまうタイトルだが、スタージョンである。 なぜか単独でwikipedia記事がある。

ラノベのタイトルのごとく、タイトルが主題を意味していて、つまりは近親相姦を真っ向から肯定している中編小説である。

主人公が記録館長に自分の経験を語る調子で物語が進むのだが、実際には館長に語りかけていない個人的な記憶に関しては太字で記述されていたり、一人称から三人称の語り口に移り変わったり、結構挑戦的な小説である。

本編とはあまり関係ないかもしれないが、まえがきとあとがきがお互いの手紙のやりとりみたいになっており、なんだか良い友情を垣間見させてもらった気分になる。

他3巻感想

行け行け行けと鳥は言った(ソーニャ・ドーマン)

タイトルはT・S・エリオット - Wikipediaの詩から。

食料危機によるカニバリズム。食べられたくないと死にたくない、がイコールじゃないという感情の不一致。あとがきの「彼が何を愛しているかである」の引用も良い。

幸福な種族(ジョン・スラデック)

機械がなんでもやってくれるようになって、人間全員が入院患者扱い、地球全体が病院と化している、っていう皮肉が効きすぎている作品。 一般的なユートピアものやディストピアもののイメージとは違って、人間は全く抗うことのできないまま結末を迎えるというのが、、スラデックすごいなあ。

認識(J・G・バラード

これぞスペキュレイティブ・フィクション。

日本に馴染みがあまりないのもあるけれど、移動サーカスには不思議な魅力を感じる。 カフカ断食芸人 - Wikipedia なんかも、日本人は、サーカスに馴染みのある欧米人とは違う感覚で読んでいるだろう。

そして、この作品もサーカスが描かれている。寂れた移動サーカスの檻には何かがいる。それはおそらく人間で、見物人を嘲笑う。

然り、そしてゴモラ……(サミュエル・R・ディレイニー)

ぐうの音も出ない。宇宙で働くため、生殖機能も成長も失ったスペーサーと、それを好む性的倒錯者フレルク。 残酷な世界だ。

危険じゃない?

出版されたのが50年も前とあったら、今となってはそこまで危険な題材とは感じないだろう、なんて意見がちょこちょこある。

当時の状況を味わった人間な訳でもないし、SFの歴史を知ってるような人間でもないが、統一したテーマで、多様な「危険」が集まっているアンソロジーはとても価値があると感じる。 そして、タブーは未だタブーであり続けるし、現状見る限り、それらが克服されている訳でもなさそうである。

「危険なヴィジョン」を描く作品から伝わるのは、それを克服したい気持ちというよりむしろ問題提起という側面だ。 何年という時代を経ても、文学が現実に問いを投げかけるという事実は変わらない。

まあたしかに、今、エリスンによって 「The Last Dangerous Visons」 が出版されたらはたしてどのような作品が読めるのか、気になりはするけれど。