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便宜的な記憶<パン屋再襲撃>

私は村上春樹をよく知らない。

そういう人間が書いた文章だと思って読んでほしい。

今回読んだのは「パン屋再襲撃」。

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

著者の作品に初めて触れたのは、タイトル通りはじめての文学 村上春樹。それからも時々彼の短編を読むようになった。

何編かの短編を読んでわかったことは、村上春樹は小説たる小説を書く人であるということだ。

例えば、面接で「大学四年間の一番注力したことは?」と聞かれたとき、学生は「サークル活動」「ボランティア」「アルバイト」と答えるだろう。

続けて「理由は?」と問われれば「部長として云々」「困っている人々の助けとなりたかった云々」「接客業で人との関わりを云々」と答えるだろう。

ありきたりな答えながら、自分がいかに努力家か・素晴らしい人格者であるかなどなどを端的にわかりやすくアッピールするにはこれしかないのである。

ボランティア活動をしたと言われれば面接官は理由を聞くまでもなくボランタリーな人柄・経験を想像し、履歴書の情報を勝手に補強する。

このように最低限の情報を行き交いさせることで我々は効率的に働くことができる。


しかし、小説とはエンターテインメントだ。効率化と無縁であるべき場所だ。

だから、主人公がふと思い出した「パン屋を襲撃した」記憶からはじまっても何らおかしくない。

その記憶がさして重要な出来事じゃなかったとしても、主人公がそれについて語ることは不思議ではない。

思い出したことからはじまる「パン屋再襲撃」がどんな一夜だったのか、自己アッピールのように語る必要はない。感動的な話に仕立てる必要もない。

さぞ当たり前のことのように語ってもいい。そんなもんか、という脱力じみた語り口でも構わない。

読者は面接官ではない。

「読んだ結果、誠に残念ながら貴殿の採用を見送ることとなりました」などと返事を送る必要はない。(もちろん、感想を送ることが禁止されている訳ではない。) 読んだ物語をどう捉えようと、採用不採用どっちにしたって構わない。

筆者も読者もお互いに無責任でいられる自由さを、村上春樹の文章は思い出させた。

……というまえがきを書こうと思ったのはこのツイートをみたからである。

模範解答に小説のようなものを感じてしまった人は私以外いないのだろうか?

(と思ったら案の定大喜利大会になっていた → 面接官「今日はどうやってここまで来ましたか?」の傑作回答17選

どの粒度で・どのように語るかによって、文章は全く異なるものになる。

小説をはじめとした創作物の面白いところは、重要度に依存した情報共有では決して得られない新鮮な情報が描かれているところなのかもしれない。

村上春樹の文章はそれが顕著な文章であるように思える。 ゆえに、人々を魅了し続けるのかもしれない。

簡単なあらすじ+感想

新婚二人が空腹で起き、夫がパン屋襲撃の話をし、だんだんと現実離れしていく過程が面白い。現実離れした展開なのに主人公の視点がやけにリアリティを帯びているのがより一層引き立てている用に思う。

町にいた象が消えてしまう。文字通りの消滅。主人公はその消滅がわかる前日、象と飼育員の身に起こった減少を目撃していた。

象と飼育員の関係、便宜的な世界、統一性。 度々登場するそれらがなにかを表しているような気がするのに、なにかは分からない、という気持ちになる。

同居する兄と妹、妹が結婚することになり、主人公の兄は婚約者と会う。

冗談ばかりのいい加減な主人公と、"ちゃんと"した妹。互いに干渉しないけれど、互いにある程度は分かっている関係が良い。 主人公の心の動きとか、考えても分からないことだらけだという考えとか、すごく良い。

この作品から、自分は「やれやれ」を意識するようになった。 主人公がやけに「やれやれ」と思う。 村上春樹らしさなのかもしれない。それはため息のようで、テンポ合わせのようなものなのかもしれない。やれやれ。

  • 双子と沈んだ大陸 :

主人公が、以前一緒に暮らしていた双子を雑誌で目にする。双子のことを思い出す。沈んだ大陸の記憶は失われていた。

wikiを見る限り、設定が長編と共通するらしい。 (双子と沈んだ大陸 - Wikipedia))

双子の存在や夢の出来事など、仄暗い雰囲気。

主人公が日記をつける。メモと記憶を頼りに。タイトルの出来事がそのまま主人公の出来事に縮約されたような散文的なストーリーだった。

  • ねじまき鳥と火曜日の女たち:

ねじまき鳥クロニクルの元ネタ、といったところか。

仕事をやめた主人公が、色んな女と会う。(やれやれ、となるような出来事に遭遇する)一日に一度、ねじまき鳥がやってくる。世界のネジを回すために。

印象的な出来事が、つながっていないのにつながっている。不思議な感覚。

最後に

あらすじじゃ伝えられない面白さを伝えるのは難しい。

案の定、有名な作者だと色んな解説・批評が書かれている。

そういう記事を読むと、どう捉えるのか、どう考えるのかが人それぞれ違って興味深い。