踏み台としての狂気<さあ、気ちがいになりなさい>
「さあ、気ちがいになりなさい」というインパクト抜群の本を読みました。
- 作者: フレドリックブラウン,Fredric Brown,星新一
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/10/21
- メディア: 新書
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推理小説ばかり読んでいた私が、SFを読むようになったのは星新一のせいだと思う。 「せい」なんて被害者的な表現が正しいかは微妙だが、最近は短編SFばかり読んでいるのは事実。
とにかく、図書館で星新一を借りて読んでを繰り返していた。図書館所蔵の文庫は大抵読み切ったと思う。それでもいまだ、読んでない作品に出会ってしまうのだから恐ろしい。
星新一のショートショートは読みやすく、オチがついてて、それでいて考えさせられる。 しかも、あんな作品量にも関わらずどの作品もぜんぜん違うストーリーなのだ。そして、一貫して星新一なのだ。
なぜこんなに星新一のことを書いているかといえば、この本は星新一の翻訳によるものだからだ。 翻訳者による作品の違いがわかるような人間ではないが、星新一の文体はすごく読みやすかった。この作品にマッチしていた。
前置きが長くなってしまったが、以下感想。
技巧
それぞれの作品には長さの違いがあれども、どの作品も「オチ」がきれいについている。これはすごい。
物語として捻りが効いている。こればかりは実際に読んでみないことには味わえない感覚だ。「こういう面白いネタ」を面白く、ストーリーとして展開していることに感動する。あらすじも、本文も面白い。
ノック は二段階にオチがついている、逆さ落ちの作品。ノアの方舟のSF版みたいな世界観でありながら、物語はそれとは全く違う方向に向かうのだから面白い。
- (タイトルと内容から、ノックの音が (新潮文庫)を思い出した)
ユーディーの法則 も同じくとんでもないストーリー。「私」の友人がすごい発明をしたと思いきや、そうじゃないと思いきや……。これぞエンターテインメント。予想ができない。
狂気
狂気を踏み台として彼自信の逆説的な世界を築いている
と訳者あとがきにも述べられている通り、狂気を扱った作品が多い。 (また、「狂気を扱う作品は日本ではまだ少なく、今後増えるだろう」とも書いてある。これは本当にそのとおりで、最近はドラマ・映画にもそういった作品が散見される。ちなみにこのあとがきは1962年に書かれたもの。)
狂気と言っても、読者の恐怖感を煽るサイコスリラーのようなものではなく「分かると怖い話」的な静かな狂気である。一番怖いのは人間だね、という考え方はホラーのみならずSFでも活躍するというものだ。(多分)
最初に載っている みどりの星へ や ぶっそうなやつら なんかはそういった狂気をオチとしてうまく使った作品。ショートショートのウマミが詰まっている。
ちなみに、みどりの星へと 電獣ヴァヴェリ は物悲しさと余韻があって良いなと思った。とんでも設定が巧いだけではないのだ。
Go Mad
巻末には注意書きのように
差別表現として好ましくない用語が使用されています。……
なんて書かれている。時代だなあとしみじみする。(作品自体は1940~50年のもの)
表題作さあ、気ちがいになりなさいはそういう用語が含まれた作品なのかもしれない。主人公は精神病なのか、そうではないのか……。が主軸になると思いきや、やはりそうはならない。
すごいの一言。
おわりに
すごいからまず読んで!と言いたくなるような、 ショートショートの面白さが詰まった短編集だった。
物語は読んでこそだな。