"良いストーリー"とはなにか<紙の動物園について思ったこと>
ケン・リュウの「紙の動物園」読みました。
という感想を書くつもりが、短編1つについてとりあげた考察みたいな文章を書いてしまった。
- 作者: ケンリュウ
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2015/05/29
- メディア: Kindle版
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そもそも、この作品を知ったきっかけはtogetterのSF小説とプロットについて - Togetterという記事。
作品本編を読む前に批判的な記事を読んでしまったため、しばらく読む気はなかった。(批評は本編読んでから読むべきであったと後悔した)
先入観がある状態で読みたくなかったのだ。しかしながら、数々の作品賞を受賞した作品なのでずっと気になっていた。
紙の動物園のモヤモヤ
最初に収録されている表題作「紙の動物園」をまず読んだ。
……
……確かに↑で書かれている批判納得だなあ!
X年越しに納得してしまった。
リンクを開いていない人向けにどういう批判か?を簡単に引用する。(がっつりネタバレなので注意)
@hirorin0015
— 山本弘 『BIS ビブリオバトル部』 (@hirorin0015) 2015年7月13日
A.主人公の母親は中国人で、折り紙で作った動物に生命を与える不思議な能力がある。
B.母親の死後、折り紙の裏に書き残されたメッセージが見つかり、主人公は母が中国で送った苛酷な半生を知る。
プロットは要約するとだいたいこんな感じ。
@hirorin0015
— 山本弘 『BIS ビブリオバトル部』 (@hirorin0015) 2015年7月13日
Aの部分のアイデアはすごく魅力的である。Bの部分も胸を打つ。
問題はAとBの要素がまったく有機的に結びついていないということ。単に折り紙からメッセージが見つかったという程度の関連しかない。
このツイートみた当初は 「いやいや、設定が有機的に結びついていないなんてことある?小説家が書いた小説だよ?無理矢理にでも納得するようなくっつけ方するじゃん?」 と思っていた。
読んだ。
……確かに、無理矢理くっつけてる。
くっつけ方が説得力に欠けているのは確かだなと思った。なんかモヤっとする。 このモヤモヤについて考えてみた。
SF的アイディアと感動的なストーリーについて
- SF的アイディア(A:折り紙に命を吹き込むことができる)
- 感動的なストーリー(B:死んだ母親の手紙が折り紙からみつかる)
この両者の繋がりが問題なのだと思う。
Bについて
- Aの「命を吹き込むことができる」はなくても、幼き日に母親が折り紙を折ってくれたこと、その後母親と確執があったことは描写できる。また、大人になって部屋を整頓してたら折り紙をみつけて広げてみると手紙が書かれていた、とすることもできる。
- モヤモヤする。
- 「 SFじゃなくてもいいじゃん!」とは言いたくないんだが(すべてのSF作品が必ずSFの必要性がある作品とは言い切れないからだ)、Bだけでストーリーが成立してしまう以上、「これSFじゃなくてもいいじゃん!」と言いたくなってしまう。
- 宇宙で戦わなくてもいいじゃん!ガンダムじゃなくて戦車でいいじゃん!とは普通ならない(はず)。
AとBをくっつける必要性について
AとBがくっつくことについて、説得力がある設定ならここまでモヤモヤしない。
例えば、手紙じゃなく、折り紙が語りかけてくるとかだったら、説得力があったかもしれない。
- 主人公は手紙の中国語が読めなくて、他の中国人に手紙を訳すように頼んだのだ。やはりこのストーリーでは生きた折り紙である必要性がない。
母親との長い確執がないストーリーだったらよかったのかもしれない。
- 幼い主人公が母親とちょっとした喧嘩をしてしまって、主人公が飛び出したのを追いかけたために母親が亡くなる、とか。折り紙も動かなくなるし、どうやって命を吹き込めばいいのかわからなくて途方に暮れる。そして母親の出自を知ろうとし、手紙のような内容をどこかしらで知ることになる。
結論
- ここまで書いてきて思ったが、この物語にはフラグというフラグが全くなかったんだと思う。
- 読んでいる時に「なんとなくこういう展開になるのかな〜」という気持ちになるフラグがない。
これは チェーホフの銃 - Wikipedia における
ストーリーに持ち込まれたものは、すべて後段の展開の中で使わなければならず、そうならないものはそもそも取り上げてはならない
という考え方が存在していないということだ。
「命が吹き込まれた折り紙の動物」がなにか特別な意味を持っているような導入にも関わらず、後半で使われていないも同然のように感じてしまった。(重要なのは「手紙」だったのだから)
ちなみに 燻製ニシンの虚偽 - Wikipediaという重要でないものを重要そうに描く 技法もあるが、今回はそういう訳でもない気がする。(もしかしたら手紙という重要な要素をわざと序盤で書かなかったのかもしれない。そうなのだとしたらもう少しどんでん返し感を出してくれないと気づけない。)
良いストーリーとはなにか
ここまで書いてきたが、「紙の動物園」は数々の賞を総なめにした作品なのだ。評価されている「いい」作品なのだ。
今回でわからなくなってしまった。
良い作品ってなんだろう?良いストーリーってなんだろう?
- 「チェーホフの銃」のような物語のルールに従った作品が必ず面白いわけではない。
- 設定・プロットが面白くても、文章になると面白くなくなることだってある。
のだから。
ストーリーには様々な要素が詰まっていて、ひとつひとつ分析することだってできる。
けれども、多少粗があっても良い作品として選ばれることがある。 要素としては完璧でも、ひとつ欠けているせいで評判がイマイチなものもある。
どれだけの要素がどれだけの読者にどれだけ刺さったかで作品の評判が決まる。難しいものだ。
今回、考えるきっかけになったことだけお伝えして、この記事を締めようと思う。